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観月ありさの出身中学や高校は練馬区のどこ?若い頃のヤンキーエピソードが壮絶

女優として様々なドラマに出演する他、モデルとしても活躍する観月ありささん。

そんな観月ありささんは練馬区出身で、地元では『今日俺!』的なヤンキー生活を送っていたと言います。

4歳から子役として芸能界デビューを果たした観月ありささんですが、そんな時期があったというのはちょっと意外ですよね。

この記事では観月ありささんの中学や高校といった若い頃、練馬区時代のエピソードを紹介していきます。

観月ありさのプロフィール

芸名 観月ありさ
本名 青山ありさ(旧姓:観月)
生年月日 1976年12月5日
身長 170㎝
出身地 東京都練馬区
所属事務所 ライジングプロダクション

練馬の大泉→高田馬場→大泉→麻布十番→大泉→世田谷と何度も練馬区への引っ越しを繰り返していたという観月ありささん。

4歳の頃からCMや雑誌などで子役モデルとして活動。

1989年にフジテレビ系で放送された『教師びんびん物語II』の生徒役で連続ドラマ初出演を果たします。

1990年代には宮沢りえさん、牧瀬里穂さんと並び「3M」と呼ばれていました。

観月ありさの出身中学や高校は練馬区のどこ?

まず観月ありささんの出身中学ですが、練馬区の大泉第二中学校、そこから世田谷区内の中学校に転校しています。

中学校時代にはすでに芸能活動を本格化させていた観月ありささんは、14歳の時に「伝説の少女」で歌手デビュー。

学校へ行くことが難しくなっており、高校は明治大学附属中野高等学校の定時制へ進学します。(偏差値40ほど)

2003年にこちらの高校は廃止となってしまいましたが、当時「明治大学附属中野高等学校」は現在の『堀越高校』のような位置付けで、同高校は西田敏行さん、中森明菜さん、野々村真さん,島崎和歌子さんなど数々の有名人が在籍していました。

※現在「明治大学附属中野高等学校」は偏差値70ほどの進学校で、東大や早慶にも大量の合格者を出しています。

当時の『明治大学附属中野高等学校』では芸能活動が本格化し中退してしまう生徒も多く、観月ありささん自身も女優としての活動が忙しくなったために、同高校を中退。

そこから芸能の道へと進んだので、大学へは進学していません。

観月ありさの若い頃のヤンキーエピソードが壮絶?

そんな観月ありささんですが、若い頃は『今日から俺は!』的なンキー生活を送っていたと「今夜くらべてみました」内で語っていました。

特に観月ありささんの住んでいた大泉エリアはヤンキーエリアで学校の窓などが割られていることもあったそう。

「目があった瞬間に喧嘩が始まる」

「公園で遊んでて違う学校の子とあったらすぐ喧嘩が始まる」

と当時の練馬区は相当荒れていたことが分かりますね。笑

 

中学生の頃はヤンキーに決まって”時計台”へ呼ばれていたそうで、女同士でもグーパンされるなどの世界線…・

 

現在40台半ばくらいの、観月ありささんが学生時代の頃ということは今から30年ほど前。

1990年代前半といえば、練馬区にも有名なヤンキー中学があったといいます。

ちなみにこちらは観月ありささんの中学時代のお写真

決してヤンキーには見えませんし、めちゃくちゃ可愛い…。

ちなみに時系列的には1992年にボクたちのドラマシリーズ『放課後』(フジテレビ系)でドラマ初主演

1993年には同系列の連続ドラマ『じゃじゃ馬ならし』で中井貴一さんと共にダブル主演を果たします。

こちらは当時の写真でこの頃はすでに高校になっている歳(16歳くらい)ですね。

観月ありさの出身中学や高校は練馬区のどこ?若い頃のヤンキーエピソードが壮絶:まとめ

観月ありささんの出身中学や高校を調べました。

出身中学は練馬区の大泉第二中学校でしたが、途中で世田谷の中学へ転校。

高校は芸能人御用達の「明治大学附属中野高等学校」へ通っていましたが、中退し芸能活動へ専念しています。

1990年代の練馬区の学校に通っていたということで、当時は観月ありささんがヤンキーだったというよりも、社会全体がそのような雰囲気だったことが分かると思います。